子どものころはお正月がたのしみだった。けれど、いまとなっては迷惑なものである。
そう感じるのは、ひとえにお年玉という風習のためだ。
もらう側からあげるほうの側に移ったときから、大晦日が一年のうちいちばんたのしいときになって、年が明けるとびくびく過ごさなければならなくなってしまった。
いまになってそんなこと言ってるけど、自分もずいぶんと長いあいだ、お年玉をもらってきたのだ。
すべって転んで、やっと入った大学は、卒業するまでに、またひとより余計に年数がかかってしまった。なにしろ浪人してたころと全部あわせたら、小学校よか長く通ってたことになる。
親だって、とっくに二十歳を過ぎた不出来な息子に、いつまでもお年玉なんてくれやしない。
それが、祖母だけは、「卒業するまで」とお年玉をくれてた。
しかし、その祖母も、僕の長い長い大学生活につきあいきれずに亡くなった。
葬式はいい天気で、卒業するまでお年玉くれるって言ってたのに……と考え、それが残念だったわけだからでもないのだけど、泣きそうにしてた僕は、叔父のひとりに、「おばあちゃん、お年玉やるとき、おまえがいちばんうれしそうな顔してる、って言ってたぞ」と声をかけられ、こらえていた涙がどっとあふれた。