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_ふじたかつゆきの
_バリ島・ロンボク島

第1話 プロローグ


 商店街にある小さなカラオケ教室に歌を習いにいったとしよう。
極々軽い気持ちで「夕飯のおかずはマルちゃんのハンバーグにしようか」なんて考えながら、あなたはそのドアを開く。
 だが、そんな小さな幸せ感じる日常にカツをいれるように、突然大音量で「なみだ船」が流れ出す。
 紙吹雪舞う中、スポットライトに左手を上斜45度に広げた1人の男の後ろ姿が浮かびあがる。
 男はゴールドに輝くマイクのコードをひゅるるんとしならせながらゆっくりとふりかえると、一瞬眩しい目をしてニコリと微笑。
 そして魂を揺さぶる歌声が響き渡るのだ。
「サブ...ちゃん?! 」
 さあ、この状況下で、あなたの心はどう動くであろうか。

 1999年、オーストラリアはグレートバリアリーフに浮かぶ、ポンツーンと呼ばれる人工の島で、生まれて初めてシュノーケリングというものを体験した。
 実は、その独特な文化にあこがれてバリ島への旅行を計画していたのだけれど、思い立った時期がすでに遅く飛行機の席が確保できない状況だった。せっかくとれた休み、もうどこでもいい、どこか遠くへ行きたい! と旅行代理店に泣きついて出した結論がオーストラリアはケアンズだった。店頭のカタログ写真だけを頼りに、およそ1日で行く先を決めてしまったのだ。(そういえば高校の進路相談でも、就職先は適当にみつくろってくれればいい、と言ったんだよなあ)ゆえにたいした予備知識もなく、出国当日は開き直って、まさにサンダル履きで近所のカラオケ教室にでもいくような、開き直りようだったのだ。
 元来、山より海派だったのだけれど、もっぱら砂浜から眺める程度。ましてや足のつかないような所で泳ぐなど自殺行為と思っていたほどだったから、いったいなぜ思いつきでこの場所になったのか、今になって思い返せば不思議である。たいした興味もなければ、珊瑚礁の海なんていうと、こちょばゆくて大の男がやってられっか、となめてもいたのだ。
 ところが実際その目の前にくりひろげられるグレートバリアリーフというグレートな世界遺産、まさしく北島三郎級の珊瑚礁に抱かれているうちに、すまなかったと涙し、同時に不思議愉快に深く広がる海の世界に圧倒的に魅了されてしまった。それ以来「キレエなうみにいきたーい」とTVドラマのOLが給湯室でおしゃべりするような事を考えるようになってしまったのだ。

 やがて2000年になった。
 その年の旅行もやはりバリ島は候補にあがったのだが、海についてはさしてきれいという印象がなかったため、なんとはなしに沖縄は石垣島に行く先を変えてしまった。
 あいにく雨がちな天気ではあったけれど、コンクリートに囲まれた港でさえ、ドハデな魚が泳いでいて驚いたものだった。
 シュノーケリングには黒島という離島まで足をのばした。ここらあたりの宿では、シュノーケル用具を有料で貸出ししている。ゴツゴツとした岩場が多いためだろう、マスク、フィンの他に長靴も用意されいて、なかなか気がきいているのだ。雨はやはり降っていたけれど、それなりにたくさんの魚が見られて、なかなか楽むことができた。
 浜の近くに黒毛の牛がいて、黙って雨に濡れていた。

 そして今年2001年、いよいよバリ島に渡る決意をした。
 ふりかえれば2年ごしの計画となっていた。
 出発日は10月13日。約一週間の滞在だ。今回は初めて、格安航空券と現地旅行会社を利用するといった、個人旅行スタイルで旅行をする事にした。これは日本の旅行代理店にまかせた場合とくらべると5万円近く安くあげる事ができる。その分面倒な事も多くなるけれど。
 調べていくうちに、バリ島の隣にはロンボク島という島がある事を知った。大きさはバリ島と同じくらいか。国内線のプロペラ機で20分というから、簡単に渡る事ができる島なのである。そしてロンボク島をタクシーで1時間、さらに小舟で数分の沖合にギリメノという小島がある。ちょうど石垣島に対する竹富島や黒島のような関係だ。
 ギリというのは「島」という意味で、ギリアイル、ギリトラワガンという島々と合わせてギリ3島などと呼ばれている。そのうちギリメノは最も静かで最も海が綺麗だという。近年、温暖化で海の温度があがり珊瑚礁の大半がやられてしまったらしいが、それでもまだ無数のコーラルフィッシュやカメ、イルカ等が見られるらしい。
「いいじゃないですか! いきましょうどこまでも! バリ島で異国文化を満喫し、ギリメノでシュノーケル、上等じゃないですか! 表へ出ろってんだ! フガー! 」
 コースが決まったら、あとは行動あるのみ。鼻息あらく目を血走らせ、どこまでも暴想ゾーンに突入だ。関連書籍を読みあさり、インターネット上からもおのれの煩悩のままにプリントアウトしまくる日々が続くのだった。

* * *

 その日、ニューヨークの貿易センタービルに2機の旅客機がつっこんだ。
 インドネシアというところはそうでなくともなかなか物騒で、大半がヒンズー教であるバリ島はまだよいが、ロンボク島ではほとんどの人々がイスラム教。イスラムといっても仏教でいう真言宗や天台宗のように細分化されているというから、ひとまとめに考えてはいけないらしいのだが、インターネットでロンボク島を調べると「暴動」だの、カッとなって刺しちゃったみたいな、危ない話も結構みつかったりする。しかし反対に全然平気だという話もあったりして、結局の所実際はどうなんだかよくわからない。
 小学校からのつきあいになる友人からは
「ジハード! 」
などと書かれた旅行絶対反対のメールが届き、ご存じ上野歩先生からは
「板長がいなくなると、上野亭は廃業です」
という、あったかいんだかつめたいんだか微妙な言葉をいただいたりもした。(上野先生、しゃれですからね)
 格安航空券を手配した先からは、テロの影響で航空保険料というモノが必要になったので追加料金はらえ、とのたまわれたりもした。(後日なぜかやっぱ払わなくてもいいってことになった。罪もない担当のねーさんにゴネまくってしまったが、アレはかわいそうな事をしたな)。
 こんな状況では、やはり自分自身も不安がないと言えば嘘になる。が、ここまで来てやっぱり行かないじゃどうにもおさまらない。
 魂はもうすでに幽体離脱し、バリ島まで飛んで行ってしまっている。

 そしてついにガルーダインドネシアの旅客機に乗り込んだ。
 空港での荷物検査は厳しくなっているだろうなと予想していたが、妙に簡単に機内まで入れてしまった。
「テロ対策は大丈夫なんだろうか。」
 あたりを見回すと、カバーがやぶれて中の鉄板が丸見えのシートは、張り替えをくり返したようで席ごとに色が違っている。非常時の説明ビデオは何度も再生しているためか、トロけたような画質でコーヒーにマリームかウルトラQのタイトルバックを思い起こさせる。
「テロの前にこの飛行機は大丈夫なんだろうか。」
 一抹の不安がよぎったが、ひとまず無事定刻通りテイクオフしてくれた。
 なにはともあれ、もう飛んでしまったのだからあとはパイロットにがんばってもらうしかない。次に降りるのはトランジットするジャワ島はジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港だ。
「さよならニッポン」
 思えばそのときはまだ、あんな事になろうとは思いもつかぬ、単なるウスラ観光客以外のなにものでもなかったのだ。


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