・4日め
朝から晴天。しかし、きのうの雨が深い霧となって“津軽富士”と呼ばれる岩木山の上半分を覆ってしまっている。携えている『津軽』の新潮文庫の表紙カバーが岩木山のイラストで、実物と対面するのをたのしみにしていたのに……
津軽平野をぐるりとまわる本日中に、どこかでその全貌を現してくれるといいのだが。
太宰は「津軽の旅行は、五、六月に限る。」と書いている。「梅、桃、桜、林檎(りんご)、梨(なし)、すもも、一度にこの頃、花が咲くのである。」と。しかし、赤い実をたわわにつけたリンゴ畑の向こうに黄金色の田園が広がる東北の短い秋も素晴らしい。
義経伝説(源義経がモンゴルに渡海してチンギス・ハーンになるという、あれですね)ゆかりの三厩(みんまや)を過ぎ、竜飛岬に到着。太宰はこう書く。「ここは、本州の極地である。(中略)あとは海に転げ落ちるばかりだ。路が全く絶えているのである。ここは、本州の袋小路だ。」この部分、どこかグルメリポーター彦摩呂氏の語りを思わせる文体である。
強い海風に押し返されながら竜飛岬に立つと、津軽海峡を挟んで北海道がすぐ間近に見えた。函館から、こちらに向かって手を振っているひとの姿も見える(嘘です)。右手に眼を移すと、陸奥湾の向こうにきのうまでいた下北半島をくっきりと望むことができた。
頬を叩くような風のなか、真っ青な空の下で眼にしたこの雄大で美しい光景を一生忘れまいぞ、と思った。そう、一生忘れないでおこう。
最北端の売店で、秋田駅から乗る帰りの新幹線車中で酒の肴にするため、名物の寒風干しのタコをもらう。店のオニイサンが、足の太いところをはさみでひょいと切って、「500エンでいいよ」と言い、さらにひと口大にぽんぽん切り分けてくれる。
「浅い真珠貝に水を盛ったような、気品はあるがはかない感じの(中略)人に捨てられた孤独の水たまり」と太宰が描写した十三湖の湖畔で弁当をつかう。
そして、深浦から二両編成のJR五能線に乗車した。『津軽』でも、太宰が婿養子だった父の生まれた町を、この海岸線ぎりぎりを走る五能線に乗って訪ねている。
ワンマン運転の非電化車両が動きだすと、僕は窓を押し上げた。日本海の香りが吹き込んできた。
急ぎ足の三陸の旅だったが、なにより東北の広さ、奥深さを感じることはできた。映画『飢餓海峡』(’64年)の舞台となった湯野川温泉郷(こんな山奥にあるとは!)をクルマのなかからでも眺められたのはいいオプションだったけれど、かなわなかったこともある。北大路欣也が映画(’77年)のなかで「天は我々を見放した……」と呻吟した八甲田山は雲に隠れてしまっていたし、岩木山もとうとう姿を見せてくれなかった。十和田湖は、今回のルートから外れていたし、豪雪のなか石炭ストーブで暖をとりながら走る津軽鉄道線にだって乗ってみたい。なにより、太宰の生家である斜陽館を訪れたいではないか。どうやら、ふたたびこの地にやってくるっきゃないようだ。
その日を夢想しつつ、太宰の素晴らしくカッコイイあの一文で三陸の旅を締めくくりたい。「さらば読者よ。命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」
―『三陸』完―
※引用した太宰治『津軽』は、新潮文庫102刷改版による。
