ところで、松本清張の小説『ゼロの焦点』は、「板根禎子(いたねていこ)は、秋にすすめる人があって鵜原憲一(うはらけんいち)と結婚した。」〈新潮文庫より〉という一文で始まる。
なんというか、愛想のない書き出しである。
松本清張の文体は、どこか報告書のようである。
こんな具合だ――
このあたり一帯は、まだ武蔵野の名残りがあって、いちめんに耕された平野には、ナラ、クヌギ、ケヤキ、赤松などの混じった雑木林(ぞうきばやし)が至る所にある。
『声』新潮文庫《傑作短編集(5)張込み》より引用
杉、檜(ひのき)が多かったが、榧(かや)、シデ、椿も少なくなかった。楠(くすのき)の大木には山藤が蔓(つる)を巻き、高いところにアケビがさがっていた。
『張込み』同より引用
この辺(あた)りになるとナラ、カエデ、クヌギ、カシなどの雑木林が到るところに残っている。旧(ふる)い径(みち)は、その林の中に入っている。
『黒い福音』新潮文庫より引用
全体的に比喩表現が少ない清張文学は、華麗でもなく、洗練されていてもいない。しかし反面、比喩は時代の流行に敏感な分、腐敗しやすい。
そして、この打ちっぱなしコンクリートのように、ぶっきら棒な文体ゆえに、清張作品は色褪せることなく、今も頻繁にドラマ化されている。
そして、一見無骨なその行間には、なんともいえない旅愁がにじむ。