神奈川県のある町でタクシーに乗った。行き先を告げたら、「横浜から移ってきたばかりで、あまり道を知らない。希望の道順があったら言ってくれ」とのこと。
僕も、土地の人間ではないのでまかせるとこたえた。
走る車中で、僕は、
「タクシーの運転手さんていうのは、おなじ町にいたほうが仕事がしやすいんじゃないですか?」
と思うままを言った。
すると、「いや、それはたしかにそうなんだけど、いられない事情ができちゃいましてね」
と運転手が言う。
「借金ですよ。高利で金を借りちゃってね」
彼は、赤信号で車を止めると、ドアをちょっとあけて路上にツバだかタンだかをぺっと吐いた。
「横浜だと、遊ぶとこがいっぱいあるからね。こういう田舎だと仕事するよかないから。でも、あっちにいるときは便利だったよなあ。アパートの1階がコンビニだったからね、もう冷蔵庫がわりにつかってたんだけど」
信号が青になり、ふたたび車を発進させた彼は、自分の暮らしぶりを話したことで気をゆるしたつもりになったのか、すっかり口調がかわっている。でも、それは、親しげなんてものじゃなくて、じつにいやな口ぶりだった。話題にも、話しかたにも、前向きさや希望のようなものはいっさい感じられず、ただ怠惰な虚無だけが漂っていた。