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/ 上野 歩
monthly essay / ueno ayumu

ぴー吉 第96回『かにとエレベータ』

挿絵 図書館で予約しておいた雑誌を受けとり、エレベータに乗った。図書館は区民センターの8階にある。僕は「1階」のボタンを押すと、奥のほうに乗り込んだ。あとから2人乗ってきて、扉が閉まり、エレベータはするすると下降を開始した。
 僕はケージの壁に寄りかかり、借りてきた雑誌のページをぱらぱらとめくっていた。
 ところが途中で異変を感じた。足元がむずむずっとしたかと思うと、耳の横を吹き上がっていくようだった空気が、覆いかぶさってくるような感覚にかわった。
「あれ?」と思って、扉の上のデジタル表示を見ると、それまで数を減らしていた階数が、増えていくではないか。さっき押した「1階」の行き先ボタンのランプも消えている。
 2階あたりまで下降してきたエレベータが、途中でこんどは勝手に上昇しはじめたのである。
 エレベータに同乗していた40代の主婦らしい女性と、若い学生ふうの男性ともにほかの階の行くき先ボタンを押していない。僕とおなじく1階をめざしていた。
 僕らは思わず顔を見合わせてしまった。「おいおいおい、これって、もしかしてヤバくないか?」そんな空気がただよっていた。だが、そうした危機感とは裏腹に、同乗した2人は笑みを浮かべているではないか。なんとも曖昧模糊(あいまいもこ)とした笑みを。そうして、おなじ笑みは、僕の顔にも張り付いているはずだった。
 ひととは、どうにもならない危機に瀕したとき、ただ笑っているものなのだな、とあらためて実感した。

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