ちょっとまえまでは、おでんのいちばんの好物はちくわぶだった。
小麦粉をこねて竹や金属の棒に巻きつけて蒸した、竹輪に似たものだけれど、これを入れるのはどうやら関東のおでんだけらしい。『チャコールグレイ』という小説にも書いたが、小学生のころに通っていたそろばん塾の門口におでんの屋台がやってきていた。
教室の時間待ちの子どもをあてこんでやってくるのである。
当時、ちくわぶが1コ5円で、「ひとつちょうだい」というと、屋台のおばさんに、「ひとつじゃ売ってやらないよ」と言われた。屋台一筋の商いでリッパな家まで建てた肝っ玉母ちゃんとして新聞の地方版にも紹介されていたけれど、僕には意地悪なひとという印象しかない。
そんなことがあったせいか、おとなになってもしばらく僕のちくわぶによせる思いには、特別なものがあった。
あんまり煮込みすぎてない、アルデンテな感じが好みで、よく食べていたのだけれど、近ごろは呪縛がとけたのか、おでんのレギュラーから外れた。
最近、スタメンに定着したのは油揚げのなかに鶏の挽き肉、みじん切りにした玉ネギと春雨を入れ、爪楊枝で口をとじたもので、わが家ではお宝袋と命名した。
あれこれ鍋に入れたいところだけれど、うちは夫婦ふたりきりなので、品数はどうしてもかぎられることになる。
じゃがいもを入れたら、大根は入れない。イイダコを入れたら、きょうはスジはなし、といった具合に選択をせまられる。
木枯らしに吹かれながら夜道を歩いてきて、「ただいま」とドアを開けると、カツオ節のいいにおいが玄関までただよってくる。
はやる心をおさえつつ、冷えたからだを湯船に沈めてから、いざ食卓へ。
ぐつぐついう鍋のまえにどかりとすわり、こんどはうって変わって湯上りで火照ったからだを静めるように冷たいビールを喉に流し込む。そのあいだも、眼は鍋のほうをつねに眺めている。