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ぴー吉 上野 歩 / イ  第96回『かにとエレベータ』・・・P3

挿絵 雑誌を抱えて区民センターからひんやりとした街の空気のなかに出たとき、やはり僕は少しぼおっとしていたのかもしれない。へんな足の踏み出し方をして、ズボンの裾に靴を引っ掛けた。そして、ズボンの裾の折り返しの糸留めが切れたのだった。
 こんなことははじめてだった。いや、裾をダブルにしているズボンの折り返しは、たいていはホックで留まっている。それが外れていることが時おりあるから、もしかしたらこんなふうなきっかけで外れるのかもしれない。
 折り返しが糸留めなのは、このズボンだけだった。
 なににせよ、さっきのエレベータといい、これといい、よくないことが起こる前兆かもしれなかった。
 そんなふうに思いながら帰宅すると、札幌在住の知人である小学校の元校長先生から毛がにが届いていた。
 さっそく、夕餉にむしゃむしゃ食べる。足を折って身肉をせせり、かにみそをなめる。かにといっしょに送っていただいた校長先生の奥様がしょうゆ漬けしたイクラも酒の肴にした。この漬かり具合が絶妙で、僕はお酒の締めくくりにご飯にのせて食べるという荒業に出た。そしたら、まるで、黄身だけの生玉子ご飯を食べているようだった。
 それから数日後のことである、こんどはズワイとタラバのかにしゃぶセットが到着した。こちらは、やはり知人から頂戴したうまいもの便のとりよせ日を、この日に設定していたのだった。
 殻のまま網にのせると白いミルクがじわりとにじみ出てくる焼きがには、かるく火で炙ることで、香ばしく、さらに味が濃厚になったように感じる。
 鍋でかるく、しゃぶしゃぶしたタラバの足は、身肉が花開いたようになる。それを口に入れた瞬間、あの日のエレベータとズボンの折り返しの一件を思い出した。あれは、こんなにいいことがそうそうつづくものではないのだぞという忠告であったのかもしれない。
 と、まあ、そんなことをうつらうつら考えつつ、きょうも過ぎてゆく。
 さよなら2005年。

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