釣れない。まったく釣れない。もともとベテランの釣り師であってもアタリをとらえるのが困難だというワカサギだが、コツンともこない。オヤジさんからエサだけは小まめにかえるように言われているので、かじかむ手でとり行う。
妻は、「上手にできない」と言って、エサ付けを完全に放棄してしまった。あるいは、エサの赤い小さなムシにさわるのが気持ち悪いのかもしれない。で、僕が2人ぶんのエサ付けをする。
うまく動いてくれない指の腹に釣り針が引っかかる。火鉢で手を炙ろうとすると炭が尽きてしまった。
で、道具はそのままに、炭をとりに2人で湖畔の釣り宿に行くことにする。からだが冷え切ってしまっていた。
氷上には、あちこちに釣りの穴がクレーターのようにあけられているので、注意しながら歩く。実際、家族連れできていた小学生の男の子がはしゃいで駆けまわっているときに片足をそこに突っ込み、そのまま父親に小脇に抱えられ回収されて行ったのを目撃していた。
ようやく宿にたどり着き、あたたかい土間でストーブにあたっていると、こわばっていた手と足がほどけてきた。すると、自分が、ふたたびあの釣り場に戻りたがっていることに気がついた。ちっとも釣れない、寒いだけのあの場所に、なんで戻りたいと思うのだろう?
それがフシギだった。
フシギといえば妻のほうは当初よりも増して釣る気満々である。それはいいのだが、自分でエサもつけてくれー。
ふたたび湖の真ん中に引き返し、ワカサギ釣りを再開。そして相変わらず釣れない。
風が氷上を這うように吹きすさび、頬や爪先を切りつける。僕はからだをあたためようとお尻のポケットからラムの瓶を引っ張り出し、ひと口飲んだ。そして、氷結したカルデラ湖と周囲を取り囲む朴訥(ぼくとつ)としたかたちの山々を眺める。美しかった。そうなのだ、ここは美しい。
湖の上から見る景色は、空も山も雲もすべてがくっきりと見えた。そしてここから見えない風景をも眼前にくっきりと浮かび上がらせてくる。日々の暮らしが、自分自身が見えてきた。そう、自分の心を見つめるために、僕はふたたびこの場所に戻ろうと思ったのかもしれない。
